●1951年1月30日生まれのフィル・コリンズは、70年、メロディー・メイカーの募集広告を見て、プログレッシブ・ロックのジェネシスのドラマーになりました。『怪奇骨董音楽箱』 "Nursery Cryme"以降の作品でドラムを聴く事が出来ますが、ピーター・ガブリエル脱退後76年の『トリック・オブ・ザ・テイル』"A Trick Of The Tail"からは、リード・ヴォーカルも担当していますが、よりポップなサウンドになり、ジェネシスは商業的にも大成功します。
●その頃、やはりプログレッシブなジャズロックのブランドXが活動を始めますが、ドラマーのビル・ブラッフォード(ブルーフォード)がキング・クリムゾンとしての契約のためにレコーディングが出来なかったため、フィル・コリンズが参加することになり、76年『異常行為 アンオーソドックス・ビヘイヴィアー』 "Unorthodox Behaviour"以降活動し、たくさんのアルバムをリリースしますが、80年にブランドXは活動を休止します。
●1981年からフィル・コリンズのソロ活動が活発になります。ソロとしてのデビューアルバムは、第一作『夜の囁き』"Face Value"で、アルバム・チャートで全英1位、全米7位と大成功しました。シングルカットされて大ヒットした一曲目の『夜の囁き』'In the Air Tonight"は、様々なところで使われました。ソロ第二作が、1982年『フィル・コリンズ2:心の扉』で、全英2位、全米8位になり、あのダイアナ・ロスがいたザ・スプリームスの66年の大ヒット曲『恋はあせらず』をフィル・コリンズがリバイバルヒットさせました。この作品から、モータウンサウンドをいろいろと取り入れることになります。一曲目の『空虚な心』"I Don't Care Anymore"も、シングルカットされて大ヒットして1984年、グラミー賞最優秀男性ロック歌手にノミネートされました。ちなみに8曲がシングルカットされたすごいアルバムです。
●第三作の『フィル・コリンズIII』"No Jacket Required"は、全米1200万枚、全米200万枚、世界で2000万枚を売り上げ、1986年グラミー賞最優秀アルバム賞にかがやきました。私の出品のCDにはオリジナルLPには収録されていなかった『ウィ・セッド・ハロー・グッドバイ』が収録されています。アルバムタイトルは、ある出来事を表現しています。シカゴの最高級レストランのThe Pump Roomにレッド・ツェッペリンのボーカルのロバート・プラントと一緒に入ろうとしましたが、ドレス・コードがJacket Required(スーツ・ネクタイ着用のこと)でしたので、ムッシューのチーフに入店を断られてしまいました。ロバート・プラントのスーツは大丈夫でしたが、フィル・コリンズはジャケットを着ていたものの、正式なものではないと指摘されました。プレイ・ボーイのインタビューで「人生であんなに頭に来たことはない」と語っています。TV番組でもこのことを何度も語ったために、支配人はフィルに、スポーツ・コートと言われる上下をそろえなくてもいいジャケットをプレゼントし、丁重におわびし、いつでもご来店くださいと謝罪しました。そこで、制作中のこのアルバムタイトルは、「スーツ・ネクタイ不要」の"No Jacket Required"になりました。
●1989年は天安門で学生たちが虐殺され、ベルリンの壁が崩壊した歴史的な年です。11月7日に第四作『バット・シリアスリー』"... But Seriously"がリリースされた翌々日にベルリンの壁が崩壊したことが象徴するように、第四作は、フィル・コリンズが、シリアスに政治的なメッセージを歌いました。2曲目の『悲しみのザッツ・ザ・ウェイ』 "That's Just the Way It Is"は、北アイルランド紛争へのメッセージ、5曲目の『カラーズ』"Colours"はアパルトヘイトと人種差別への批判、7曲目の『アナザー・デイ・イン・パラダイス』"Another Day in Paradise"(1991年グラミー賞でRecord of the Year受賞)は、ホームレスと貧困問題を扱いました。第1作に続いて、エリック・クラプトンは6曲目でギターを弾いていますが、他にも9曲目のハモンドオルガンはスティーヴ・ウィンウッド、2曲目と7曲目ではボーカルにデヴィッド・クロスビー、3曲目のボーカルにスティーブン・ビショップが参加しています。イギリスでは275万枚売上げ、フィルにとって一番売れたアルバムになりました。アメリカでは四百万枚、世界中の主な15カ国で、アルバムチャート1位に輝きました。
●1993年にリリースされた第五作『ボース・サイズ』は、フィル本人がプロデュースし、初めて自分で打ち込みも含めて全楽器を演奏しました。家のスタジオで演奏の12トラックを制作して、サリー州にあるジェネシスのレコーディングスタジオ、ザ・ファームで、ボーカルやドラムを録音しました。フィルコリンズファンは、このアルバムが一番好きだという方が多いのですが、ボーカルが中心になっていて、ファンには一番うれしい「ソロ」アルバムになりました。イギリスをはじめオーストラリア、オランダ、フランス、ドイツ、イタリア、ポルトガル、スイスなど各国で一位になり、13ヶ月にもわたるコンサートツアーも大成功でした。
●1993年はジェネシスにとっても特別な年で、91年作"We Can't Dance"の92年ツアーが大成功し、二十周年になる1993年アメリカン・ミュージック・アワードのフェイヴァリット・ポップ/ロック・バンド部門で受賞しました。1996年3月にフィル・コリンズはジェネシスを脱退します。それからのフィル・コリンズは、自身のビッグ・バンドを結成し、ジェネシスの曲やソロ・アルバムの曲やスタンダード・ナンバーを演奏しました。特に1996の7月はヨーロッパの様々なジャズフェスティバルに出演しました。そんな中1995年から1996年にかけて、フランスでモバイル・レコーディング装置を使って、第六作"Dance into the Light"のレコーディングを続け、1996年10月8日にリリースされました。当初は前作同様フィル・コリンズ一人で録音を続けましたが、ミュージシャンに、自分が用意したトラックに沿った演奏を指示しました。その段階では、ドラム・マシンが使われていましたが、フィルは全てを生のドラムに置き換えました。ファンが前作で、もっとフィルのドラムを聞きたがった気持ちにこたえました。このアルバムでは作風に変化がみられましたが、前作のツアー中に、ユッスー・ンドゥールやボブ・ディランやアフリカ音楽をよく聴いていましたが、ジェネシス脱退後1999年ディズニー映画『ターザン』の音楽を作曲していた時期でもあり、アフリカの音楽のフレイバーが色濃く影響しています。
●1997年には全82公演のThe Trip into the Light World Tourで全米全欧をまわります。1997年6月にジョージ・マーティンのスタジオがあったモントセラト島が大噴火しましたが、ジョージ・マーティンの呼びかけで9月15日に行われた救済コンサートには、ポール・マッカートニー、エリック・クラプトン、エルトン・ジョン、スティングなど、そうそうたるメンバーが集まりましたが、フィル・コリンズは"Take Me Home"を歌いました。
●1998年にはベストアルバム『ベスト・オブ・フィル・コリンズ』がリリースされ、新録音の、シンディ・ローパーのカバー『トゥルー・カラーズ』がヒットします。ビッグ・バンドも北米とヨーロッパのワールドツアーの中のパリ公演が、ライヴ・アルバム"A Hot Night in Paris"としてリリースされました。これまで作曲を続けてきたディズニーアニメ『ターザン』が1999年に公開され、音楽担当としてフィル・コリンズは大成功します。特に、"You'll Be in My Heart"は大ヒットし、2000年第72回アカデミー賞歌曲賞を受賞し、"Two Worlds"のパフォーマンスをしました(この年のアカデミー賞は『アメリカン・ビューティー』と『マトリクス』の年でした。)。さらに、この年のスーパー・ボウルのハーフタイムショーでも、同じく"Two Wrolds"を歌いました。また、1999年にリリースされた、ジェネシスのベストヒットアルバム"Turn It On Again: The Hits."では、ジェネシスの名作『幻惑のブロードウェイ』でピーター・ガブリエルが歌っていた名曲『カーペット・クローラーズ』を、リレコーディングし、"The Carpet Crawlers 1999"でボーカルを担当しました。
●2000年から二年をかけてスイスの自宅で第七作"TESTIFY"のレコーディングを始め、前作の生ドラムから、またコンピュータ上のドラムに回帰します。20002年6月3日に女王エリザベス2世の在位五十周年のコンサート"Party at The Palace"では、ハウスバンドのドラム担当として参加し、多くの曲でドラムを担当しました。『恋はあせらず』を歌い、その時は、クイーンのロジャー・テイラーがドラムをたたきました。その代わりというか、クイーンの"Radio Ga Ga"では、ロジャー・テイラーがフレディ・マーキュリー(二人の共作です)の代わりにリードボーカルを担当したので、フィル・コリンズがドラムをたたいています。この時は、女王のお気に入りのアーティストが多数参加していますが、エルトン・ジョン、エリック・クラプトン、ロッド・スチュワート、ポールマッカートニーらが参加しています。この年2002年11月11日にリリースされたのが、このアルバム"TESTIFY"です。シングルカットされた "Can't Stop Loving You"は、アダルト・コンテンポラリー・チャートで第一位になりました。さらに、 "Wake Up Call"、"Come with Me"、"The Least You Can Do" もシングルカットされ、アダルト・コンテンポラリー・チャートで成功しています。最後に"You Touch My Heart"がリリースされのは3年後の2005年、息の長いアルバムになりました。
●オリジナルジャケットは、51歳のフィル・コリンズの顔でした。今回のリマスタリングで、ジャケット写真を新たに撮り直して、66歳の2017年の顔を同じデザインで使っています。
●フィルコリンズの全作品を出品しています。同梱すると送料は割安になります。二枚同梱しても紙で包むだけなら120円から。この紙ジャケは、折れ曲がるような素材ではありませんが、薄い紙ジャケで、背表紙にアルバムタイトルアーティースト名などの表示はありません。日本盤のような、オリジナルLP完全復刻のような再現ジャケットではありません。紙ジャケではなく音質本位でご検討ください。 |