~BNR32 GT-R~
1989年5月22日、8代目スカイライン発表、同年8月発売。
先代KPGC110の生産終了より実に16年ぶりとなるGT-R復活であり、当時日産で行われていた901運動
の集大成として開発された
R32型GT-Rは、アテーサE-TS
、スーパーハイキャスなどといった当時最先端の技術が盛り込まれていた。
同時にR32が出る前
と出た後のとでは車としての性能が別物になっており、これは日産車だけでなく全ての
国産メーカーを含めて「32の前と後」とで一つの時代が変わった。
それは自動車の歴史においての一つの大きな転換点であったとも言える。それくらいR32GT-Rの影響力は大きかった。
日産社内では7代目スカイライン(R31型)の時点で2ドアクーペに「GT-R」を復活させる計画があったが、
エンジンが4ドアと同じRB20DET
であったことや、そのRB20DETが当時ジャーナリストから酷評を受けていたことなどから、
開発主管の伊藤修令
の判断でその計画は撤回
。
その後R32型では、プラザ合意
後の日産の業績悪化の影響などから「今ここで「GT-Rを復活させる」と言っても通らないだろう」
として「GT-X」の仮名称で開発が進められた。
RB26DETT
の排気量は、2,568ccという当時としては“中途半端な”排気量設定がされている
。
これは当時のグループA
レギュレーションに対応させたことが理由。
輸出したオーストラリアや海外では
“Godzilla”と呼ばれているGT-Rの愛称は、オーストラリアでのツーリングカー選手権への参加で、
他メーカー勢を周回遅れで制した衝撃がきっかけで名付けられた。
1990年にはグループA
参戦マシンのホモロゲーション
用モデルとして500台限定でGT-R NISMO(当モデル)が発売され
同年より全日本ツーリングカー選手権でデビューウィンを果たす。
それまで世界中で最強を誇っていたフォードシエラRS500を周回遅れにする程の圧倒的な速さでグループAにおいて
全戦全勝の圧倒的な強さ見せつけた。
今思えばこの頃から10数年くらい、00年代初頭くらいまでが経営含め色々な意味で日産の絶頂期だったのかもしれない。
尚、余談ではあるがGT-Rの純正パーツは「独禁法違反ではないか?」というくらい理不尽な超値上げが続けられており、
ユーザー達を困らせている。
こういった純正パーツの異常な値上げが近年の日産の売り上げに貢献している。
そしてそれらがGT-R、引いては中古車価格高騰の一因にもなっているのは間違いないだろう。
ただし日産の名誉の為に言っておくと例えば34GT-Rのエンジンのブロックなどは現在もアップデートがされており、
いわゆる「昔のままの純正品」ではない「新しい技術が盛り込まれた純正品」というのがエンジン関係のパーツではいくつかある。
ブロックに関して言うと振動が出にくい、ハイチューンをした時にクラックが入りにくい、といったような処理がなされていたりする。
そういう特殊なパーツは個人ではなく専門の業者(チューニングショップなど)が買う場合がほとんどなので
「プロなら良し悪しが理解できるだろうし本当に良い物なら絶対に買う筈」と強気の価格設定なのかもしれない。
とことん足元を見られているようで業者は複雑だろう。
日産の良い部分は純正品やNISMOから販売されている純正チューニングパーツなどはトライ&エラーがされており
駄目なパーツは廃盤に
なったり代替品が造られる事が多い。
これがトヨタやホンダとの違いでこの2社の場合そこまではやらない。
一度出した純正品はずっと同じだし基本的にパーツが改良される事もない。